ともだち




「もう、秋もおわりね。」
 学校帰りのいつもの道をひとり歩いている希奈子は、
青いシーツをひろげたような空を見上げた。
そのシーツには果てがないように思えた。
道の両わきにはススキがさわりと風におどる。
ちょっと前まで木の枝にはたくさんの葉っぱがおいしげり、
赤や黄色やオレンジ色に紅葉していた。
だけど、今はがらんとした枝がさみしそうに空へと手をのばしている。
希奈子の髪をなでる風も、ほほにふれる大気も、鼻をかすめるにおいも、
冬のおとずれを静かに告げていた。
もう、冬はすぐそこに・・・。
 希奈子は少し早足に歩いた。
ちょうどハス池が希奈子の右どなりに見えたとき、
希奈子はちらりとハス池に目をやった。
でも、パグのすがたはなかった。
希奈子はまゆを八の字にすると、そのままハス池を通りすぎていった。
ハス池が遠ざかっていく。
ふいに、ぴたりと足を止める希奈子。
自分の意思ではなくて、なにか・・もっと自然的でありながらも、
必然的な《力》が希奈子の足を止めさせた。
希奈子はまるでうしろから声をかけられたかのようにふりむいた。
いつもと変わらないハス池が静かに希奈子を見つめている。
希奈子はくるりと足のむきを変えると、ハス池にむかって走りだした。
息をきらせて走った。背中にしょっているランドセルが、がちゃがちゃとなっている。
ハス池には公園のようにみんなが休めるベンチがある。
希奈子はそこにこしかけた。
目の前にはハス池と池にうかぶハスの葉が
ゆったりとながれる時間に身をまかせていた。
しばらくハス池をながめていると、
希奈子はなぜかこの前ライラックがひいてくれた第九を思い出した。
希奈子はこころのままに口ずさんだ。
歌詞は覚えていなかったのでメロディーにそって鼻歌をうたうくらいだったけれど。
「おや?第九か。よく知っているね。学校で習ったのかな?」
 きゅうにはなしかけられた希奈子はびくりと肩をふるわせて、
はなしかけてきた人物をさぐるように見つめた。
ベンチのとなりにひとりのおじさんが立って希奈子を見ている。
おじさんの足元にはあの《パグ》がいた。
思いがけない再会に、希奈子はなにも言うことができず、
ただただおじさんとパグの顔を見つめるばかりだった。
「となり、すわってもいいかな?」
 おじさんがにこにこしながら希奈子のすわっているベンチを指さした。
希奈子はうなずくことでせいいっぱいだった。
おじさんがベンチにすわるとベンチが少しだけゆれた。
でも、おじさんはとってもやせていたので、
ベンチがゆれたように希奈子が思っただけかもしれない。
パグはおじさんの足元でおとなしくおすわりしている。
その黒い口もとからはピンク色のベロがのぞいていた。
「さっき、君が歌っていた曲。どんな内容か知っているのかな?」
 首をふる希奈子。おじさんがやさしく笑うとこんなはなしをはじめた。
「その曲はね・・《友情》を讃えた曲なんだよ。」
 《友情》という言葉に希奈子はハッとした。
ライラックがこの曲を希奈子に聞かせた理由。
そのこめられた想い。希奈子はようやくわかった。
「ダイネ ツァオバー ビンデン ヴィーダー,ヴァス ディ モーデ シュトレング ゲタイルト.
 これはドイツ語でね。日本語に訳すと・・
《この世界のしきたりが厳しくわけへだてても、あなたの魔力によってふたたび結びつけられるだろう》
 アレ メンシェン ヴェーアデン ブリューダー,ヴォー ダイン ザンフター フリューゲル ヴァイルト.
 《あなたのやさしい翼のもとで、すべての人間はきょうだいとなる》
 ・・・と、まあ、こんなかんじだね。」
「すべての人間は・・兄弟となる・・・。」
 希奈子はむねがぽうっと熱くなるのを感じた。
「この曲が歌うように、ほんとうにすべてのヒトが友情に恵まれればいいんだがね・・。」
 そう言うと、おじさんは足元にすわっているパグの頭をなでた。
「そうだ。君はこの曲がはじめて日本で公演された場所を知っているかな?」
 希奈子はすこしかんがえてから、ちいさな声で
「どこかの・・有名なコンサート会場?」
と、こたえた。おじさんはにっこり笑うと
「はずれ!」
と言った。
「コンサート会場でもなければオペラ劇場でもない。
・・それは、収容所なんだよ。」
「収容所?」
「そう・・。しかも、戦時捕虜の収容所だ。」
「せんじ・・ほりょ?」
 希奈子ははじめて耳にする言葉にとまどった。
「君は、むかしむかし日本が戦争をしていたことを知っている?」
「第二次世界大戦のことですか?」
 おじさんは静かに首をふった。
「いいや。第一次世界大戦のころのおはなしだ。
1917年だからほんとうにずいぶんとむかしのことだね。」
 希奈子はうなずくと、ひっそりとたたずむハス池をながめた。
水面はとてもおだやかでひとつの波紋もない。
アメンボすら、じっとおじさんのはなしを聞いているようにハス池の水は静かだった。
「そのころ、徳島のちかくに戦争で捕らえたドイツ人を収容しておく場所があってね。」
「それが、せんじ・・・」
 希奈子が言葉をつまらせると、おじさんが
「戦時捕虜収容所だね。」
と、おぎなってくれた。
「第九はね、その収容所で演奏されたんだよ。
もちろん、演奏したのも歌ったのもドイツ人の捕虜たちだ。」
 希奈子がやせたおじさんの横顔を見た。
「ケンカしていたのに友情の歌をうたったの?」
「そうだね。」
 希奈子はアフジスカでライラックがひいてくれたあとの、
あのそわそわした態度を思い出すとこっそり笑った。
 ―ライラックったら、てれてたんだ。
 そして、希奈子はこの曲にこめられた願いにそっとこころをかたむけた。


「さて。そろそろ帰るか、な?ピーチ。」
 おじさんが立ち上がるとパグもゆっくりと立ち上がった。
「この子、ピーチっていう名前なの?」
「そうだよ。ピーチ姫さ!」
 そう言って笑いながらおじさんはピーチの頭をなでた。
頭をなでられたピーチはうれしそうにおじさんのひざに飛びかかって、
まんまるのしっぽをコキコキとふった。
希奈子はそのパグ、ピーチをじっと見つめた。
まんまるできらきらと光る真っ黒な目が希奈子を見つめかえす。
「モモ・・姫?」
 希奈子がぽつりと言った。
「また、東亭にも遊びにおいで。特製珈琲をごちそうするよ。」
 希奈子はびっくりして顔をあげた。
「おじさん・・もしかして、ハルさん?」
 おじさんが軽くウィンクしてみせた。
そうして、おじさんはピーチを連れて家へと帰っていった。
ピーチのくるんとまるまったしっぽがついているおしりが、だんだんと遠ざかっていく。
希奈子は立ち上がると大きく手をふった。
そして、力いっぱいさけんだ。
「ハルさん!モモ姫ぇ〜!
また会いにいくから、絶対に行くから・・それまで待っててね!」
 まがり角をまがる瞬間、ピーチがちらりと希奈子を見た。
その顔はなんだか笑っているようだった。


 また、ひとりぼっちになった希奈子。
でも、もうさみしくない。
《すべては自分しだい》
 希奈子は足元におちている石を拾った。
どこにでもある、ふつうの石ころだ。
冷たくてごつごつしている。
希奈子はその石をそっと手でつつみこんだ。
すると、ふしぎなことに石があわい光をはなちはじめた。
きらきらと、それは希奈子の手のひらで光っている。
そう、アフジスカの水晶林におちていた水晶のかけらのように・・。
 希奈子はそれをハス池にむかって投げいれた。
 水音が空気にひびく。




 石は、ゆらゆらと水底にしずんでいった。














アフジスカ〜猫と少女の秋空物語〜
                          
終幕













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