雲離屋(くもりや)




 そこはまるで海のような草原だった。
 見わたすかぎりどこまでもつづく草の海原。
 風がふけば草が波のようにざわりとゆれる。
 上空にひろがる空もゆらゆらと生き物のようにうごめいていた。
 その色は青と思えばいつのまにか夕焼けの赤にかわり、
 赤だと思えば金色にそまる。
 空はまたたくまに表情をかえていった。
「前に本で見たことがあるの。」
「うん?」
 希奈子のとなりに、ひっそりと立っているライラックは、
 もう洋服もきちんと着ていて体も元にもどっていた。
「このお空、オーロラみたい。」
「きれいだろう。」
 希奈子からは逆光になってライラックの顔が見えない。
 でも、希奈子にはライラックの表情がわかった。
 笑ってる。すごくうれしそうに笑ってる。
「うん。きれいだね。」
 希奈子はなんだかうれしくなった。
 ライラックの心がほんのすこし近づいたように思えたから。
「おまえ、空はすきか?」
 とつぜんのライラックの質問に、
 希奈子はとまどいながらも素直にこたえた。
「すき。」
 ライラックがすこし笑うと
「おまえ、きらいなものはないのか。」
と言った。
「きらいなものなんて、たくさんあるよ!」
「ふーん。・・・学校とか?」
 希奈子はどきりとした。
「きらいじゃない・・・けど。」
「すきでもない。」
 希奈子はなにも言いかえさなかった。
 言いかえすことができなかった。
 ライラックにうそをついても、
 きっとみやぶられてしまうとわかっていたから。
「名も無き詩人がむかしこんな詩をうたったな。」
 ライラックは氷のようにすきとおった声で歌った。


   ♪空がすきです。
   ♪いつのときも変わらぬ青い空がすきです。
   ♪電車がカタンとゆれました。
   ♪空のかなたには 
   ♪あのお方がいらっしゃるというけれど
   ♪空を突きやぶって見てみれば
   ♪そこにあるのは 
   ♪ただの宇宙の闇でした。


 ライラックが草の中に飛びこんだ。
 希奈子もあとにつづく。
 草は希奈子の背丈よりも高く、
 前を歩くライラックの耳がやっと見えるくらいだった。
 ライラックの歩く早さにおいていかれまいと、
 希奈子は一生懸命草をかきわけて歩いた。
 すると、ふしぎなことに気がついた。
 目の前に存在する草をさわろうと手をのばすのに、
 ふれることができない。
 それは実体がないゆうれいのようだった。
 このふたつの目に見えているのに、ふれても感しょくがない。
 実におかしな気分だ。
 じぶんの脳にうそをつかれている気にすらなった。
 それでも希奈子は止まることなく歩いた。
 空では色たちが自由気ままにおどっている。
 希奈子の息がすこしあがってきたときだった。
 すこし先にこんもりとした小高い丘が見える。
 丘の上には雲のように真っ白な家と、
 これまた真っ白なのぼりが立てられていた。
 近づくにつれて、そののぼりに水色で書かれている文字が読めた。
《雲離屋(くもりや)》
「ここはオレのお気にいりでね。」
 ライラックが丘の上にひょいと飛びのると、うしろをふりむいた。
「登れるか?」
 丘は希奈子のいる地面よりも高く、
 ジャンプしてやっとこ登れるかどうかだった。
 希奈子は「登れない」と言うのもなんだかしゃくにさわったので
「だいじょうぶ。」
と言うと、両手をついてよじ登ろうとした。
 しかし、丘は思った以上に高く、なかなか登れない。
 ライラックがしゃがみこむと希奈子を見下ろした。
「ふーん。だいじょうぶ・・・ね。」
「・・・」
 希奈子がうらめしそうにライラックを見上げる。
「やっぱり」
「やっぱり?」
「・・・」
 希奈子はくやしそうに
「登れない。」
と、小声で言った。
 すると、ライラックがまるで子猫をだきあげるように、
 希奈子の首根っこをつかみ、ひょいっと持ち上げた。
「ありがと。」
 また小声で言うと、希奈子は両手でスカートをぱんぱんとはたいた。
「ライラックって・・・」
 希奈子がライラックの背中にむかってつぶやく。
「意外と力もちなのね。」
 ライラックがくるりとふりかえると
「お前がひんじゃなんだよ。」
と、笑った。
 ひんじゃくと言われたのはあんまりいい気分ではないけれど、
 希奈子はそれ以上にライラックが笑ってくれたことがうれしかった。
 ここにきてからライラックはやさしかった。


 ライラックと希奈子が丘の上に建てられた家のそばに歩いて行くと、
 そこには一匹の黒い犬がいた。
 もちろん、この犬もライラックたちとおなじように
 二本足で立っているし服も着ていた。
 白のシャツに、
 首元には黒地に黄色の水玉もようのスカーフをまいている。
 黒のズボンをはいていることからこの犬がオスだとわかった。
 しかも、シャツをズボンの中にきちんとしまっている。
 きっと、きちょうめんな性格なのだろう。
 ―ライラックもおしゃれだけど、
 アフジスカのヒトたちってみんなおしゃれなのかな。
 希奈子のしせんに気づいたのか、犬がこちらに近づいてきた。
「やあ、いらっしゃい。」
「よう。」
 ライラックがあいさつをかえす。
「ライラックか。いつもごひいきに。
 そちらのかわいらしいおじょうさんは?」
 希奈子はライラックのうしろから、おそるおそる顔をだした。
 その犬の顔はどことなくモモ姫ににているようだった。
 ぺしゃんこな鼻。まんまるな目。
 でも、耳はモモ姫とはちがっていて、
 ライラックのように、ぴんっとたっている。
 顔は黒く、鼻からおでこにかけて白い線がはいっていて、
 耳の中だけピンク色なのがかわいらしかった。
 ―モモ姫のおにいさん・・かな?
「こいつは希奈子といってね、モモ姫の友だちだ。」
 紹介された希奈子は、ぺこっとちいさくおじぎをした。
「へえ!モモ姫のね。わたしは寿限無(じゅげむ)といいます。
 ここ雲離屋の店主です。以後お見知りおきを。」
「はじめまして・・。希奈子です。」
 顔ほどこわいヒトでもないようなので、
 希奈子は思い切って質問してみることにした。
「あの。寿限無さん。」
「なにか?」
「あの、寿限無さんってモモ姫のおにいさんですか?」
 ライラックがあごを手でなでながら、寿限無の顔をまじまじと見た。
「なるほど。たしかににているな。」
 寿限無は笑いながら
「ちがう、ちがう。
 しかも、わたしのほうが彼女よりずっと年下なんですよ。」
と、手を左右にふった。
「わたしとモモ姫がにているのはね、
 おなじ犬種の血がはいっているからです。」
「おなじ犬種?モモ姫はパグだったよね?」
「よくご存知で。わたしはフレンチブルドックといいまして、パグとは
 ・・・そうですね、親せきみたいなものです。
 ちなみに、わたしはフランス出身ですが、
 パグは中国生まれなのですよ。」
 ―フランスと中国って遠いのに親せきだなんて、なんだかおかしいの。
 ふしぎそうな顔をしている希奈子に寿限無がくわしく説明してくれた。
「実はわたし、名前からもわかるかと思いますが、
 ブルドックの血をこく受けついでおりましてね。」
「ブルドック!」
 希奈子は頭の中でブルドックを思いえがいた。
 ずでーんとふてぶてしいブルドック。
 足は短くてガニまたで、体はふとっちょで胴長だ。
 その見た目こそパグとおんなじお笑い犬!
 だけど、希奈子は笑ったら失礼だと思って必死にこらえた。
 そうして、気づかれないように息をととのえるとこう言った。
「でも、ブルドックよりモモ姫のほうがかわいい。」
「モモ姫に伝えておこう。よろこぶぞ。モモ姫。」
 ライラックのその言葉に、希奈子は
「でも、ブルドックもかわいい!」
と、あわててつけくわえた。
「ははは。いえいえ、モモ姫にはブルドックの血は流れていません。
 わたしがブルドックとパグのかけ合わせだと言いたかったのです。
 それにしても、希奈子さんは素直だ。」
 寿限無が笑う。
 希奈子ははやとちりしてしまったじぶんがとてもはずかしかった。


「さて、今日は何用で雲離屋に?ライラック。」
 寿限無がライラックにむきなおる。
「あぁ、こいつに見せたいものがあってね。」
「ほう。なにをご所望でしょう?」
 こいつとは希奈子のことだけれど、
 本人は二匹がなんのはなしをしているのかさっぱりわからず、
 ライラックと寿限無の顔を交互に見つめた。
「秋の午後。しかも、とびきり秋晴れにしてくれ。」
 ライラックが言うと、寿限無がにっこりと笑った。
「ひこうき雲ですね。」
「そうゆうことだ。」
 寿限無が真っ黒な顔のつぶれた鼻をふふんとならすと
「かしこまりました。少々お待ちください。」
と言って、
 真っ白な家の真ん中にある水色のドアの中へとすがたを消した。








   


アフジスカ〜猫と少女の秋空物語〜