いつもの学校の帰り道
それは秋の午後のこと。
だいすきな夏休みも終わり、新学期がはじまって少したった日。
たいくつな学校もやっと終わって、
あたたかくつつみこむような日ざしを浴びながら、
いつもの帰り道を希奈子(きなこ)はひとり歩いていた。
希奈子は小学生の女の子。
いつも両わきの髪を耳の上でふたつにしばり、うしろの髪の毛はたらしている。
この髪型が希奈子のおきにいり。
希奈子が学校から帰る道のとちゅうにはちいさな池があり、
近所の人たちは《ハス池》とよんでいる。
池といってもそれは寒いあいだだけ。夏になるとひあがってしまうのだ。
今はほんのすこしだけ池の底に水があるくらい。
「ハス池だなんてえらそうにいうけど、まるでドロの水たまりね!」
そんなことをぶつぶつ言いながら、希奈子はハス池をながめた。
ふと、視界のはしっこに犬の散歩をしているおじさんが見えた。
いつも夕方になるとこのあたりを散歩しているおじさんだ。
今日はどうやらいつもより早くに散歩をしているみたいだ。
そのおじさんはとてもやせていて、
まるでひからびたハス池のようだと希奈子は思っていた。
おじさんのすぐうしろをよたよたとした足どりで犬がついてくる。
その犬の顔ったら!まるでお笑い犬!しわしわの皮にうずもれた鼻。
まんまるでなにかをうったえかけるような目。
体はお肉がたるんで大きくたれさがっている。
その犬は《パグ》というのだと、
前におじさんが他の子どもにはなしているのを聞いたことがある。
そんなこまり顔な犬とはとってもアンバランスなおじさんとのでこぼこコンビ。
希奈子がおじさんの横をとおりぬけたとき、おじさんは
「こんにちは。」
と、あいさつしてくれた。希奈子もちいさな声で
「こんにちは。」
と言った。
ぜぇぜぇとあらい息をはきながら、
よろよろとうしろからついてきたパグは立ち止まると、
希奈子の顔をうらめしそうに見上げた。
希奈子はすこし肩をすくめると、なにも言わずに家へと帰る道をいそいだ。
「ただいま。」
家の中からはなにも返事がない。
それはあたりまえのことだ。だって、家にはだれもいないのだから。
希奈子にはきょうだいがいない。
おとうさんとおかあさんも共働きをしているので希奈子はいっつもひとりぼっち。
だけど、希奈子はひとりでいるのにも、もうなれっ子だ。
ちっともさみしくなんかない。
たまに、おかあさんが家にいるとちょっぴりあまえてしまうけど。
希奈子はらんぼうにクツをぬぐと玄関先にランドセルを投げた。
「ちゃんとかたづけておかないと、おかあさんに怒られるわよ?」
希奈子はどきっとした。
まわりを見わたしてもだれもいない。
気のせいだろうと思いつつも、クツをちゃんとならべておきなおすと、
ランドセルを持っていそいで二階にあるじぶんの部屋へと走った。
ばたん、とおおげさにドアをしめると希奈子は大きく息をはいた。
「今の声、なんだったのかな?」
いきおいよく階段をかけあがったせいもあって、
希奈子のむねはまだドキドキしている。
りーん・・・
希奈子はふるえあがった。
りーん・・・
「なんだ・・電話かぁ・・・。」
希奈子はほっとむねをなでおろす。
―あれ?・・・でも、うちの電話ってこんなに古びた音だっけ?
希奈子はふしぎに思いながらも、
おそるおそる机の上にある子機電話の受話器をとった。
「もしもし?・・・」
電話の主はうんともすんともこたえない。希奈子は勇気をふりしぼってきいた。
「もしもし・・?どなたですか?」
それでもやっぱり電話の主はこたえない。
気味がわるくなった希奈子が受話器をおこうと耳からはなした瞬間。
「希奈ちゃん・・よね?」
たしかにそう聞こえた。でも、おかしなことがひとつ。
その声は電話からではなく、希奈子のすぐうしろから聞こえたのだ。
希奈子はびっくりして思わず受話器をおっことしてしまった。
「あらあら・・電話、こわれちゃうわよ?」
声の主は希奈子におかまいなしにはなしをつづける。
「さっきといい、今といい、あなたはすこし女の子にしてはがさつなのね!」
がさつといわれた希奈子はいつもなら怒っているところだけど、
今はちっともそんな気にならなかった。
いかりよりも恐怖のほうが希奈子のこころをいっぱいにしているからだ。
声はするのにすがたは見えない。もちろん声は電話からじゃない。
最初から電話なんかなってはいなかった・・・そんな気さえしてくる。
じゃあ、この声はいったいどこから?
希奈子の足はがくがくとふるえ、その場にぺったりすわりこんでしまった。
「あ!」
すわりこんではじめてわかった声の正体。
希奈子の目の前にはいっぴきの犬がちょこんとすわっていた。
立っていた希奈子の視界にはいらなかっただけだった。
「ふふ・・・はじめまして。」
あいきょうのあるその犬の顔を希奈子は見おぼえがあった。
ついさっき散歩していたあの犬《パグ》にそっくりなのだ!
「あなた・・さっきのパグちゃん?」
パグはなにもこたえないで、ふふん、とつぶれた鼻をならしただけだった。
「さ!行きましょう!」
あまりにきゅうなパグからのさそいに、希奈子はあたりまえのようにききかえした。
「行くって・・・どこへ?」
「くればわかるわ!さあ!」
せかされるまま希奈子は立ちあがると、
パグはそのぶよんぶよんな体から想像できないほど身軽に、
ベランダの手すりへぴょんと飛びのった。
「希奈ちゃん、ほら!」
希奈子は青ざめた。
希奈子の部屋は二階にある。そのベランダの手すりにのるなんて!
もしも、おっこちてしまったら、きっと死んでしまうにちがいない!
そんな希奈子をよそに、いよいよパグは外にむかって大きくジャンプした。
―あぁ!おちて死んじゃう!
希奈子はとっさに目をとじた。
でも、パグが地面におちてぶつかった音も、きゃいんというなき声もしない。
希奈子がそうっと目を開けてみると、パグはちゃんと生きていた。
おどろいたことに空にぷかぷかとうかんで・・。
「なにしてるのよ?希奈ちゃんもおいで!」
「む・・むりよ!わたし、飛べないもん!」
パグはふぅ、と大きなため息をつくと言った。
「ばかねぇ。二本足で飛ぼうとするからだめなのよ!」
「に・・人間は二本足で歩くのがふつうなのよ!それに・・」
「それに?」
パグはあきれたように希奈子の言葉をくりかえした。
「地球には重力があるから人間は空を飛べないのよ!」
希奈子はじぶんの言っていることは《じょうしき》だとしんじていた。
しかし、パグはそれをあっさりと否定してしまった。
「あら?そんなことだれが決めたの?」
それは・・と希奈子が言うよりもはやく、パグがまた言った。
「どうだっていいわ!それよりも、くるの?こないの?どっちか、はっきりなさい!」
パグのあまりのいきおいに希奈子はつい
「行く!」
と、言ってしまった。
行くとは言ったものの、希奈子はなかなか決心がつかずにいた。当然だ。
なにせ二階のベランダから外にむかって飛ぶのだ。
前にテレビで地上何千メートルの高さから飛びおりる映像をみたことがある。
でも、あれだってちゃんと背中にはパラシュートがあった。
遊園地のジェットコースターにも安全ベルトがある。
飛行機がどうして空を飛ぶのかわからないけれど、
あれは「科学のなせる業だ」と、おとうさんが言っていた。
じゃあ、二階のベランダから飛びおりることは?
パラシュートもないし、安全ベルトだってない。
まして、これが《カガクのなせるわざ》のはずがない!
どうかんがえたって《とびおりじさつ》だ!
そんなことをあれやこれやとかんがえていると、ここから飛びおりることなんて、
希奈子にはとてもじゃないけれどできなかった。
「もお!希奈ちゃん!そんなに怖いなら、わたしにつかまりなさい!」
しびれをきらしたパグがふわふわと飛びながら
希奈子に近づくと、くるりと背をむけた。
つついたら、ぷるんと、はねかえりそうなおしりには
ブタのようなまるく折られたしっぽがついている。
「ほら、つかまって。」
希奈子はふるえる手でパグにつかまった。
「ちょっと!しっぽはやめてくれない?まったく、デリカシーがないわね!」
「ご・・ごめんなさい。」
顔ではもうしわけなさそうにしている希奈子だが、
こころのなかでは笑いをこらえていた。
だって、デリカシーという言葉とあまりにもにあわない顔をしているから!
「じゃあ、どこにつかまればいいの?」
「そうね。背中にしてもらえるかしら?」
きどった感じのパグの背中に希奈子は両手でしっかりとつかまった。
ふしぎとさっきまでの恐怖心はなかった。
それよりも、希奈子はわくわくしていた。
「行くわよ!」
パグはそう言うなり希奈子を背中につかませたまま、
ベランダから外にむかってかけだした。
外へ飛びだした瞬間、希奈子はきゅっと目をつむった。
しばらく目をとじていると、
希奈子の耳もとで風のとおりすぎる音が聞こえてきた。
びゅうー、びゅー、と風がないている。
すこしずつ目をあけると、
そこには希奈子が今までに見たことのない景色がひろがっていた。
なにもない、ただの青い空間。そう、ここは空。
いつも自分が見上げていた空のなかに、
今いるのだと思うと希奈子はとってもうれしくなった。
希奈子の足もとにひろがるちいさな家々。遠くにはハス池が見える。
うしろをふりかえると、さっき飛びだしたベランダの窓がもう見えなくなっていた。
まるで地面を走っているように、パグはその短い四本足で空を飛んでいた。
―だいたい、犬が人間の言葉をはなすなんて、ひじょうしきなのよ!
だから、空だって飛べちゃうこともひじょうしきなことができるからよ!
希奈子はじぶんのかんがえに満足した。
「希奈ちゃん。しっかりつかまっていてね!さぁ!雲をぬけるわよ!」
パグが前をむいたままさけんだ。
希奈子は言われたとおり、パグの背中につかむ手にぐっと力をいれた。
ぼふん・・・綿のなかにおっこちたような感覚。きゅうに白くなる目の前。
息をすうと体のなかに雲がはいってきてしまいそうだ。
怖くはなかった。ただ、雲は本当にわたがしみたいだったんだ・・・と思った。
どれくらいの時間がたったのだろう。希奈子の手がすこししびれはじめてきた。
そのとき。
「見えてきたわ!」
ずっと遠くになにか見える。雲ではなく、人工的ななにか。
だけど、それらのまわりはぼんやりとしていて、はっきりと見えない。
希奈子は目をこすった。
ほんの一瞬、目をつむっただけなのにあんなに遠くに見えていたものが、
今は希奈子の目の前にあった。
赤や黄色、青に緑と色とりどりのかわいらしい家。
ちゃんと上には空もあって、そこにはお日さまと雲。
下には大地があって、たくさんの木や花が家をおおうようにさいている。
ここの世界もどうやら季節は秋らしく、
その植物たちはともてきれいな赤や黄色にそまっていた。
ぱっと見た目では希奈子の住んでいる町となんにも変わりはないように思えた。
でも、近づくにつれて、そこがじぶんの住んでいる町とは
全然ちがうことに希奈子は気がついた。
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